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圧倒されたとき、どうすればいい?


以前、私が購入した家はとてもひどい状態でした。前の持ち主の残置物やゴミがたくさんあり、すべての部屋はひどく汚れていて、床が抜け落ちているところもありました。この家をきれいにして賃貸する計画をしていたのですが、資金がなかったので自分たちでリフォームすることになったのです。


しかし、それは簡単なことではありませんでした。ゴミ屋敷のような家の中に私は立ち尽くし、「いったいどこから始めればいいんだろう?」と頭が真っ白になりました。あまりにもやることが多く、その状況に圧倒されてしまったのです。



私たちは、自分の容量を超えることにしばしば出くわします。


子どもの問題、経済的な問題、仕事でのタスクなど、目の前のことが大きすぎると何から始めていいのかわからなくなってしまうのです。そんなとき、神はどこにいるのでしょう?そして、神が私たちに願うこととはどんなことなのでしょう?



クリスチャンでも圧倒されることはある


神の願いは?

ダビデは神の前にとても正直でした。彼はイスラエルの指導者として力強い働きをしましたが、同時に神の前では心を注ぎ出していました。どんな悪口を言われたのか、なんで自分がこうしないのいけないのか、どれだけ敵を憎んでいるかなど、神の前に自分の心の状態をすべて広げて見せました。


私は憎しみの限りを尽くして彼らを憎みます。

彼らは私の敵となりました。

詩篇 139篇22節


あなたのしもべに御顔を隠さないでください。

私は苦しんでいます。早く私に答えてください。

詩篇 69篇17節



ダビデは正直な気持ちを神に隠さずに話したのです。それがたとえ醜く、恥ずかしいような思いであっても、そのままの自分を神に見せました。これはとても良い模範です!


私は以前、「クリスチャンなんだから、こんな弱さや悪いところは誰にも見せるべきじゃない」と、勝手なクリスチャン像を作り、自分の基準を持っていました。でもこのダビデを見てください。彼は自由に、自分のそのままの思いを神の前に持っていき、神はそれを喜びました。


そして、ダビデはこの神から自分の必要なものをすべて得ていたのです。私たちが弱さや問題を隠して自分で解決するのではなく、神と一緒に解決へ進むことを神は願っています。それに対して、神はあなたの弱さを責めたり、あなたの問題を指摘したりして、どれだけあなたがダメな存在なのかを言うことはありません。


イエスの前に姦淫の女性が連れてこられたときのストーリーを思い出してください。ヨハネの福音書8章2〜11節を見てみると、人々はこの女性の罪を指摘し、イエスに訴えました。しかしイエスが言ったことは、「わたしもあなたを罪に定めません。」というものでした(ヨハネ8:11)。


私たちの神は、私たちの弱さを指差す神ではなく、私たちが心を開くことを喜び、一緒に歩んでくださる方です。


ですから、自分の弱さ、問題、課題などに圧倒されたときは、まずは神の前にそのまま持っていきましょう。そして自分の気持ちや現状をそのまま神に話してください。それが大事な一歩目です。



助けを求める

これは、神に対しても人に対してもできますが、「助けを求める」ことです。「神に気持ちを言えば終わりじゃないの?」思われるかもしれませんが、神に自分の心を伝えることと、助けを求めることは別の話です。私たちは、助けが必要なときには、助けを求めなければいけません。


求めなさい。そうすれば与えられます。

探しなさい。そうすれば見出します。

たたきなさい。そうすれば開かれます。

マタイの福音書 7章7節


おもしろいのは、イエスは「求めなさい」と言ったということです。ただ「願い事を言いなさい」とか「あなたが何も言わなくても神は与えます」と言っているのではありません。私たちは、自分の願いを神の前に持っていかないといけないのです。そこには「求める」という行動が必要とされます。


そして、求めるためには、まず自分の必要を知る必要があります。問題を解決するために何が欲しいのか、具体的に何を求めたいかをはっきりさせ、それを求めるのです。ただ「神様解決してください」ではなく、「解決されるために、私はこれが欲しいので、これをください」ということを考えるのです。私たちが神の前に必要なものを求めるとき、神はそれを与えてくれます。



一口ずつ食べる?

南アフリカのデズモンド・ツツはこのような名言を残しています。


「ゾウを食べる方法はひとつしかありません。一口ずつ食べていくしかないのです。」


私はこの名言が大好きです!どんなに大きなものにぶつかったとしても、私たちは一つずつ取り組めばいいのです。そうしているうちに、ゾウのように大きなものであったとしても、いつの間にか自分が対処できるサイズになっていきます。


私がこの家からゴミを全部出したあと、たくさんのリフォームが待っていました。壁紙を張り替え、床を張り替え、障子やふすま、網戸を張り替えるというたくさんの作業が待っていたのです。考えるだけでその量の多さに押しつぶされそうでした。しかし、これを片付ける方法はひとつ、一つずつやることだったのです。


私はハンマーを握りしめ、一つずつ釘を抜き始めました。ペンキを買ってきてタイルを塗りなおし、壁紙を購入して貼りはじめました。もうこの家には行きたくないとすら思っていたのですが、「神が一緒にいるんだから、私にはできる」と信じてやり続けました。すると、壁紙が貼り終わり、ペンキも塗り終わり、床も貼り終わり、一つひとつのことが片付き始めたのです。初めはゴミ屋敷のようだった家も、最後はなんともきれいな家に生まれ変わりました!


私たちが神と一緒に進んでいくとき、私たちにできないことはありません。神はインマヌエルとして私たちと共にいて、この神にはできないことがないからです(マタイ1:23、19:26)。ですから今日、あなたが問題にぶつかっていても、圧倒されるようなことがあったとしても、失望しないでください。神はあなたを助け、あなたにいつも希望を見せてくださる方です。あなたの信仰は、あなたをその平安の場所へ導いてくれます。




今日のポイント

クリスチャンが神と歩むためのヒント。



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