「もう何もする気になれない」
「何も考えられないし、自分の弱さに圧倒されている」
そんなふうに感じることはありますか?
私たちクリスチャンも、いつも最高の瞬間を生きているわけではありません。
ときには疲れたり、自分の弱さを目の当たりにしたり、神がどこにいるのかわからなくなるような瞬間も経験します。
頑張る気力がなくなって、どうにもできないと感じたとき、私たちはどうすれば良いのでしょう?
嬉しいことに、疲れ切って弱さの中にいるときでも、私たちにはできることがあるんです!
弱さを感じたときにできる、3つのことをご紹介します。
賛美
賛美の力を甘くみてはいけません。賛美はものすごく力があります!
聖書を見ると、賛美は主を動かし、目の前の現実を超えた勝利をもたらすことがわかります。歴代誌第二20章では、ヨシャファテとその民に敵の大軍が攻めてきました。そのときに彼らがしたことを見てみましょう。
彼は民と相談し、主に向かって歌う者たちと、
聖なる装いをして賛美する者たちとを任命した。
彼らが武装した者の前に出て行って、
こう言うためであった。
「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」
彼らが喜びと賛美の声をあげ始めると、
主は伏兵を設けて、
ユダに攻めて来たアンモン人、
モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、
彼らは打ち負かされた。
歴代誌 第二 20章21-22節
この箇所を見ると、ヨシャファテと民は、敵の前で賛美し始めたのがわかります。そしてどうなったかと言うと、なんと自分たちの剣を使うことなく、勝利がもたらされたのです!これは誰も思いつかない、神にしかできない勝利の方法です。
賛美は主の見えない手を動かし、目の前の戦いに勝利をもたらすことができる、強い武器なのです。
恐れたり、自分の力ではどうにもできない状況があるとき、賛美し始めてください。それが停滞していた状況を動かし、打ち破りを与えます。
自分で賛美する気になれないときは、賛美を流すことからぜひ始めてみてください。疲れていても、指先ひとつでできる簡単なことです。
賛美は、「神をほめたたえる」という本来の場所へ、私たちを引き戻してくれます。
みことば
みことばは、神のことばです。
神の宣言であり、変わらない真理です。そして、神ご自身でもあります(ヨハネ1:1)。
エペソ人への手紙を見ると、神のことばは神の武具の一つとして取り上げられています。
救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、
すなわち神のことばを取りなさい。
エペソ人への手紙 6章17節
神の武具はいろいろと挙げられていますが、敵を攻撃する武器はこの神のことばだけです。
神のことばは敵の戦略を切り崩し、敵の思惑を完全に否定し、破壊できるものなのです。
神のことばは生きていて、力があり、
両刃の剣よりも鋭く、
たましいと霊、関節と骨髄を
分けるまでに刺し貫き、
心の思いやはかりごとを見分けることができます。
ヘブル人への手紙 4章12節
そして、神のことばはただ紙に書かれた文字ではなく、生きていて力があります!
だから、私たちはみことばを告白し、宣言していくことで、自分の信仰も立ち上がり、目の前の現実が動かされていくのです。
あなたが打ち破りを必要としている領域はなんでしょう?
敵の攻撃によって弱さを感じていますか?
そうであれば、みことばを宣言し続けてみてください。そして実際にみことばがどのように霊的な状況を動かすかを見てみましょう。
感謝
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって
神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙 第一 5章16~18節
最後は感謝です。
もし、私たちがいつも喜ぶことを選び、絶えず祈り、すべてを感謝するなら、どうなるでしょう?
良いことがあったら感謝し、問題が起こっても感謝し、苦しいときも弱いときもいつも私たちの口に感謝があふれるなら、敵が何を持ってきたとしても取り付く島もありません。
すべてを感謝する人には、敵も入り込む余地がないのです。
すべてを感謝することは、神へのまったき信頼でもあります。
「あなたの良さがこの中でも完全に表されることを感謝します。」と神を信頼し、神の手の上に今の状況を委ねます。
どんな場所にあっても神を認め、神の良さを信じることを神は望んでいるのです。
今日、あなたは自分の弱さを感じていますか?
これら3つはすぐに始められるものです。
ぜひ歌い出してください。
みことばを語り始めてください。
感謝のことばを口から出してみてください。
それによって、どのような結果につながっていくのか見ていきましょう!
תגובות