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痛みにどう対応してる?



正直に言うと、私は痛みを通ることは好きではありません。できる限り避けたいし、自分の心を守ってあげたいです。


でも自分の願いとは反対に、クリスチャンになってからも予期していなかった痛みを通ることがよくあります。私たちは誰もが痛みを経験し、たとえつらくても生きていかなければいけない現実があるのです。



痛みがあるとき、あなたの反応はどのようなものですか?



  • できる限り逃げる

  • 蓋をする

  • 無視してそのまま進む

  • 自分を防御する

  • 痛みがなくなるまで徹底的に解決を求める



もしかすると、私なら心が痛むときには、ありとあらゆる理由をかき集めて、自分を守るための防御に入るかもしれません。


「私は悪くない」


「だってあの人がこう言ったんだから」


「私の方が正しいんだから」



あるいは、ひたすら悲しむモードに入るかもしれません。


「私ってなんてかわいそうなんだろう」


「あのときこうしていればよかったのに」



傷ついたとき、心が痛むとき


私たちが心の痛みを感じることは良いことです。もちろん悲しい出来事があることは残念ですが、痛みは自分の心の状態を知ることができるサインです。それによって心の中に何があるか、自分が本当はどう思っているか、何が大切なのかなど、自分でも気づかなかったことがわかるようになります。ですから、痛みがあるからといって自分を卑下したり、責めたりする必要はありません。そのまま感じていることを大事に抱きしめてあげましょう。


痛みに対する反応はさまざまですが、私たちは痛みに対して次のような対応ができます。




 父のもとへ行く


まことに、わたしはあなたの傷を治し、

あなたの打ち傷を癒やす。

エレミヤ書 30章17節


私たちの父は癒やし主です。もしあなたが父の元へ心の傷を持っていくなら、父は喜んでそれを癒やしてくれます。大きなことでも小さなことでも、すぐに父の元へ持っていくのです。私たちが相手を完全に赦し、手放せるのは、父の元でしかできないことだからです。


祈りの例

「お父さん、私の心にはこの痛みがあります。どうか私の心を癒やしてください。そして、この痛みをもたらした〇〇を赦したいです。私の心をあなたの愛と喜びで満たしてください。」



 痛みと共に捧げる


ですから、兄弟たち、

私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。

あなたがたのからだを、神に喜ばれる、

聖なる生きたささげ物として献げなさい。

それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。

ローマ人への手紙 12章1節


もし、痛みの中で主を賛美し、「それでも私は主を愛し、主に信頼する」と自分を捧げることができたなら、それはこの地上でしか捧げられない主への礼拝となります。どんな状態であっても主を賛美するという態度をとるならば、あなたの礼拝を主は喜んで受け取ります。



 喜ぶ


私の兄弟たち。

様々な試練にあうときはいつでも、

この上もない喜びと思いなさい。

ヤコブの手紙 1章2節


私たちは試練を通して強められます。そのことを先取りで喜ぶことができます。それは神の良さへの完全な信頼であり、成熟した人である証拠です。主を喜び祝うことは、私たちの力となります!(ネヘミヤ8:10)



あなたは今日、自分をどのように変化させたいですか?どのような成長を見たいですか?


もし、痛みの中を通っているなら、ぜひ上の3つをやってみてください。そして、どのような結果になるか見てみましょう。神はいつでもあなたにもっと良いものを用意していて、あなたを慰める準備ができています!






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